生成AIがもたらすイラストレーターの未来

AI(人工知能)

絵を描く友人からよく尋ねられるので、エンジニアの視点で展望をまとめました。絵に限らず画像生成で初めてAIに興味を持ったクリエイターのお役に立つと思います。

結論を一言でまとめると、対応も心構えも必要ですが、職業自体を悲観する必要はないですよという事がこの記事の趣旨になります。

記事の筆者は、AIを中心とした技術情報の収集がライフワークです。かつてはAI関連の情報を調べても、難解あるいはシンプルすぎる数式のみでした。少し前までそうでしたが。

生成AIが急速に進化したと言われる事について

人工知能による画像生成が一般の利用者にも使えるレベルになったことが衝撃を持って迎えられ、これまで興味がなかった広範囲の企業や、主に絵を描く方がAIの進歩を意識するようになりました。

しかし技術が急に飛躍したかのような表現には違和感があります。

AI自体は十年単位で少しずつ進歩している途中です。画像生成AIの流行は、一般が求める必要水準ラインを一つまたいだことが驚きを持って迎えられたという事に尽きます。

AIがチェスや将棋をプレイすることは以前から出来ていましたが、トッププロに勝った途端に大きく取り上げられたのと一緒です。つまり急速に変化したのはAIではなく、社会のAIに対する反応です。

創作に関連する他の例を上げると、今でもAIが音楽や3Dモデルを生成することは出来ます。そのうち一般利用レベルに達してまた大きく話題になるでしょう。

ただし、飛躍はしていなくても一般利用水準に達したことで巨大資本が投入され、開発が急加速している事は間違いないです。

生成AIはどこまで進化するのか

まず今できないこと一つ一つについても回答します。画像生成で例を挙げると直立ではない姿勢や複数人の描写、手指の描写、同じキャラクターの継続作成も自然にできるようになるのでしょうか。

あるいは他分野ならすでに書きましたが3DCGや連続アニメーション、音楽なども生成できるのかという疑問です。

これについては、AIについての共通の考え方で答えられます。「データが沢山用意できて正解があるものであれば」いずれできます。

つまり答えは全ていずれ出来るようになるです。近いうちにです。

おまけ:画像生成AIに関する現状の問題点の解決の道筋

基本的に分割生成とフィードバックの改善で達成されます。

例えば手指だけ再生成したり、複数人の映る絵のうちの一人だけ、背景だけ、など別途再生成するなどです。

絵全体の質は、生成された絵の評価を学習データにフィードバックする仕組みが整えられれば、改善が早まります。

現在存在している学習データも、あらかじめネット上に存在する絵とその評価を学習しているため、良い絵を出してとシンプルに指定することで結果が改善します。

その評価と学習をループして行えるようにするということです。

学習済みデータを配布するwebサイトのような一方通行ではなく、生成した絵をアップロードしてその評価から再学習する手法が考えられます。

すでにベストショットでは高クオリティと言えるstable diffusion等の画像生成システムに、chatGPTのような自然言語で「指が4本になっている」「両方とも右手になっている」などより具体的に指示できるとさらに良いです。

どちらかにもう一方を統合させることで実現するでしょうし、すでにその動きはあります。

クリエイターの展望

創作の分化

以上のように進歩する前提で考えると、将来のクリエイターはその意思によって以下2つに分かれるでしょう。

新規性を追求するクリエイター

存在しないものを創ることを目指すクリエイターのことを指します。AIが作り出せない独創的なアイデアを持つことが求められます。

このタイプのクリエイターは、今後も同様に需要があるでしょう。新規性のある創作物を人とAIに提供し続けることで社会に貢献します。

個人利用レベルでは、人気イラストレーターの模倣が問題になっています。

しかし現行の著作権法でも個性と知名度があるクリエイターの作品については、商用利用においては本人に依頼することが必須であるため、AIが高度に進化しても仕事として成り立ち続けるでしょう。

このタイプのクリエイターもAIと無縁というわけではなく、AIの進歩により再生産業務が効率化され、創造性に集中できるようになります。

創作を追求するクリエイター

既存の作品を基準にして、人気や好みなどの要素を加味しながら自分なりの作風を習得し、創作するクリエイターのことを指します。日本語なら「職人」と呼ぶのが近いでしょう。

イラストのような創作物だと職人と呼ばれることに違和感があるかもしれませんが、歴史のある織物や陶磁器等を思い浮かべればそこに存在する創作性と誇りが伝わると思います。

新規性を追求することよりも、良い創作物を作ることや、制作が苦手な人を助けることを目的としています。

このタイプのクリエイターはAIの進化によって、創作効率を高めることができるでしょう。

新規性を極限まで追求しないため、AIの再生産効率に脅かされる可能性はあります。しかし以下のAIが置き換えてくれないことの存在によって仕事が完全になくなることはありえません。

AIが置き換えてくれないことについて

生成AIは進歩が著しいですが自意識の研究は困難を極めており、当分意思決定は代替してくれません。
仮に突然自我を持ったとしてもAIとクリエイターは別人であるため意志決定は代替してくれません。

絵に関して言えば多くをAIに頼りきるとしても、絵を必要とする現場で絵の採用を決定する人と、絵の制作を行って選別する人、あるいはその全てを一人で担う人は残ります。

そして完全に任せられること自体がそもそも当分起きません。任せられることが増えたら改善に力を注ぐからです。

そもそも画像生成AIの改善も、一定以上の品質まで進歩した後は本職のクリエイターの協力がなければ改善されなくなります。素人がWEB上から良さそうな画像を大量に集めても、学習に必要なデータの品質が素人目には良好程度の品質から伸ばせないからです。

具体的にどこが悪くどうすれば良いのか説明できない技術者が改善することは出来ません。

デジタル作画では自動認識で画像内を範囲選択する機能が当然のごとく多用されていますが、AIを使った画像生成はいずれこの機能のような立場になります。

そのまま次の作業に移るか、結果を修正することをクリエイターが意思決定します。範囲選択機能も最初の頃はほとんどそのままでは使えない性能でした。今の画像生成AIと同じです。

作品が学習に使われることについて

著作権は、心情的には熱意を込めて作っているものだから当然保護されていると思いたいところですが、法律は心情だけでは成立しません。

法になることができたのは、特許法と同じく社会に公開して貢献した人の利益を保護することによって、社会に恩恵が在るからです。特許であれば新技術を、著作権であればオリジナリティのある著作物の提供です。

ですから日本ではAIの発展という社会への恩恵のために、「一定条件で」AIの学習への利用は問題ないとする旨の明文化を2019年1月1日施行の改正著作権法にて行いました。このような法整備がない国ではフェアユースの範疇として進めた所、学習はフェアユースではないという主張で裁判になるなどもめています。

著作権法の一部を改正する法律(平成30年法律第30号)について | 文化庁
政策について

作品は現状でも存命中とその後半世紀以上に渡って独占する権利があります。作風と別の人の意思が組み合わされて作られるバリエーション作品についても、同じ期間か短い期間で独占したほうが社会全体として良いという結果が出れば、そこまでに拡張した著作権が実現します。

その場合AIを使わなくてもインスピレーションを得て作ったものや、お手本として取り込んだものが制作できなくなります。例えば作風はここ数十年のものから一つも参考にせず生まれたものでしょうか、浮世絵などの古いものでないと作風を真似して自身の作品が作れません。近代の漫画的表現はほぼ出来なくなるでしょう。

仮に個々の著作物の学習が拒否できるようになってもAI技術はその作品を使わず発展するので、自らの作風を学習させて作品作りに利用することはいずれ可能になります。

悩めるクリエイターにお伝えしたい事

今後も「データが沢山用意できて正解があるものであれば」いずれできるようになるために、絵にとどまらず3DCG、音楽などもAIが生成できるようになってその度に話題となることは確実です。

志す分野についてどこまで置き換わられるのか否かを考える事はおすすめしません。真の創作以外の作業は大半がAIで置き換わるという答えがあるからです。

私はエンジニアでありクリエイターではありませんが、エンジニアの方がAIの苛烈な追い上げを受けていますし、分野によっては完全な置き換えを受けるでしょう。しかし、それほど悲観していません。

エンジニアからクリエイターにアドバイスできることは一つです。

創作を志す目的を確認して下さい

画像生成AIに対する反応を見て居て思うことは、創る人自身がなぜ創作しているのかを見直しておいた方が良いということです。

絵を描く目的で以下のように対応が分かれるからです。

望みの創作物を入手すること

無いから作っていたという理由であれば影響がないと思います。一定以上の品質で生成されるのでAIを使う形に完全に移行した方もいらっしゃると思います。

手段が無いために訓練していたが、本当に創作したいのは絵ではなく別の形、たとえば物語やゲーム、商品の外観に欲しかった。ということであればそちらに注力しやすくなるでしょう。

人気になるまたは稼ぐ手段

得意または趣味の延長で目指していた所、突然不得意または性に合わないAIが参入して迷惑に感じているかもしれません。

この目的の方は生成AIの進化を把握しつつも手書きスキルを磨き続けるか、むしろAIをメインに据えるか、AIとの共存を避けて絵描き以外で目指すという意思決定が要るでしょう。

制作ツール業界や顧客側が競争力の維持のためにAI利用を推進せざるをえないので、AIを積極的に利用しなかったとしても絵描きを続けた場合は、大半がAIに関わることになります。

デジタル作画に移行した事と同じです。

描くこと自体が目的

生成AIを使う必要は必ずしもないですが、AI自体はPinterestのような画像分類、googleの画像検索や、描画ソフトの機能等で必然と利用していることになるでしょう。

意思の明確さがAIとの共存につながります

友人を含めて絵をはじめとした創作をする方に私から言えることは、生成AIが進化しても人の意思は必要で、そのために創る職業そのものが消滅したりはせず、やり方の選択肢が変わるのだということです。

また意思が明確であればAIは追い風なので悲観しないで欲しいなということです。

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